
令和の現代から遡ること、実に400年前。
大海に面した三陸・大槌で獲れる魚は豊富なれど、大槌の海の幸が大槌城の領土の外に出るのはまれなことでありました。
時は慶長3年、大槌から遠く離れたかの地では江戸が開府し、城下町もにぎわい始めたころの話でございます。
大槌の鮭を特産品にできないことかと思案していた大槌城主の大槌孫八郎政貞。
活気づく江戸の町を見て、はたと思いつきました。
「この江戸の港に船で大槌の鮭を運べないだろうか」
盛岡に城を構える南部藩主・南部利直のお供で江戸に趣き、将軍の荒馬を乗りこなしたとの逸話も残る孫八郎。
荒馬に鞭を入れるがごとき勢いで次々に命令を下しました。
保存に適してながら鮭の旨味をそのまま活かした「新巻鮭」を開発させたかと思うと、瞬く間に大槌の誰も見たことがないような大きな船をあっという間に造らせました。
そして、その船に新巻鮭や昆布などの海産物をこれでもかと言うほどに積載し、江戸の港に送り込んだのです。
この孫八郎の一世一代の大勝負は見事に的中、新巻鮭を江戸に知らしめたのでありました。